Vol.63
荻窪圭

Macintosh IIcxの話っつーよりかパソコン全体の話ですが
Macintosh IIcx

 昔話である。MS-DOSが全盛で、PC-9801が幅を効かせ、FM-TOWNSやX68000なんて存在が許されていたほど朗らかだった時代である。わたしときたらX68000を前にしてあることないこと書き散らかし、PC-9801を前にして「なんてこんなクソパソコンをみんな喜んで使っているのだ」と文句たれつつそんな人々をそそのかす原稿を書いて食べていたのであった。
 あるときそんなMS-DOSのおかげで手元にいくらかの金ができた。このとき貯蓄ばばあモードに入ってたら今頃家の1軒くらい建ってただろうし、立身出世モードに入っていたら「ゼンリョウなシミン」をだまくらかす売れ筋単行本を10冊や20冊書いてただろうが、あにはからんや、ちょっと金回りがよくなると途端に仕事しないで道楽に走るというわかりやすい性格が幸いした。
 何を間違ったか、今は亡きアキバパスカルに現金70万円を握りしめて駆け込み、散財気分満載のMacintosh IIcxセットを買っちゃったのである。
 X68000使いだったわたしにフルカラーは当然だったので、LCやClassicではなく、今は亡きインターウエアの最廉価24ビットビデオカード「VimageII」を装着したIIcx+13インチトリニトロンという散財コースを選んでしまったのだ。
 あとにも先にも、こんなにわくわくしてパソコンを買ったのは初めてである。こんなに飽きずにあれこれいじったのもはじめてである。もうパソコンを触ってるという意識はすっかり飛び、ヒマを見つけては何をするでもなく触って遊んでいたのである。Photoshopがあれば1日飽きない(当時は2.0だった)くらい。
 で、SuperStudioSessionやらSuperPaintやらSoloWriterやらActa7やらMacVJEやらと買いそろえて遊んでいくうちにおそろしいことに気がついた。あの英語だけでファンクションキーもないキーボードで日本語の原稿を書けるのである。ボタンがひとつしかないマウスで図版を作れるのである。金は生まないはずのMacで仕事ができるのだ。これにはマジで驚いた。役には立たない道楽機械を買ったつもりだったからである。
 もっと驚いたのは、Macを使って好きなことやってそれを原稿にして金をもらえたことである。そんなことがあっていいのか。
 そして今やダイセンセイに……なったのはMS-DOSからWindowsへとまっとうな道を歩んだ方々であり、Macへ走ったわたしは気がついたら働けど働けど我が暮らし楽にならずじっと手を見るコースに立っているのでした。ぽつねん。
 そんなヨタ話はおいといて。
 1980年代後半、X68000を手にしたわたしはパソコンが何であるかを発見した。「パソコンは効率化を図るための便利な道具ではなく、新しいメディアなのだ」。アラン・ケイの言葉を借りると「メタ・メディア」。絵だろうが写真だろうが音だろうがテキストだろうがクソだろうがミソだろうがうんこだろうがデジタル化さえされちまえばどれも等価で、そこには一切の分け隔てがないのである。だからどんなメディアにもなれるし、誰もが自分に手が出せる範囲で好きなメディアを持てる。人はみなメディアなのだ。をを、これは時代が変わるぞ、と。でもX68000ではダメだった。その筋の人にはいいが、一般に広がるには敷居が高すぎた。
 そこに現れたのが、日本でも本格的に売るぞって動き出したMacだったのである。それはすでにメディアとしてのパソコンへ向かっていた。ああ、今の時点でこんなすごいパソコンがあるなら、10年後20年後はもっとスゴいことになってるに違いないと購入したIIcx。「未来を買った」気分といって間違いはない。やがてQuickTime 1.0が出たとき、それは確信に変わったのである。思わずVideoSpigotを買ってつっこんじゃったくらい。
 そして10年20年がたちました。唯一気になっていたデジタルデータの交流手段もインターネットが登場し、誰もがメディアになれる時代になりました。じゃあ当初思い描いていたような未来が訪れたか、というとちょっと違った。
 Macは当時より進化したかというと、基本的には大して変わってない。iTunesやiMovieやiPhotoはよくできた使いやすいアプリだけど、HyperCardやCyber-dogやPenPoint(これはMacとは関係ないが)のように未来に対するワクワク感はもたらさない。どちらかというとその反対である。いわんやWindowsをや。
 でもパソコンは予想以上に普及した。技術的知識やセンスに右往左往することなくパソコンのもたらす新しい概念だけ享受できるような新しいOSが出ないと普及はしないと思っていたのだが、あんなに大勢が何が何なのかよくわからないまま、よくわからないといいながら使っている。とても不思議である。きっとパソコンを難しいままにしておきたい人々がゼンリョウなシミンから搾取しようとしてるにチガイナイ。これはアクダイカンとキノクニヤとブッシュとビルゲイツの陰謀なのだ。「rest of us」はどこへいった?

(荻窪圭)

 

ご結婚の当日お願いしてしまった、荻窪さんです。おめでとうございます。マック系のイベントでは必ずと行っていいほど出没されています。オペラシティでの忘年会ではお世話になりました。また、機会があれば、ご一緒しましょう。

(MacTreeProject)

荻窪圭
Ogikubo Kei


長い上にわけがわからん終わりですみません。荻窪圭です。真面目にプロフィール書きます。昔々大学の数理情報工学科というところでうだうだしてたときにMZ-2500という8ビットパソコンを買いまして、高い買い物だから元を取ろうと思い、「Oh!MZ」という雑誌の編集部におしかけたのがすべてのはじまりで、やがてパソコン系フリーライターとなり、DOS/V黎明期にはDOS/VとMacの両天秤だったのですが、いまやすっかりMacの人になって、現在に至ります。現在(2003年3月)は、日経NetNavi、MacPeople、DOS/Vマガジン、DIGITALPHOTO専科(以上、紙媒体)、RBBTODAY、ZDNetMac(以上、Web媒体)に連載を持つ他、その辺のいろんな雑誌に頼まれてはいろんなことを書き散らしてます。

http://www.ogikubokei.com/

MacTreeProject・2003/03/01
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